中学校教師は、思春期の多感な生徒を相手にすることから、大変なことやストレスに感じることも多いようですが、小学校、高校の先生にはない喜びや楽しさがあり、充実した日々を送っている先生達も少なくはありません。
毎日楽しく中学校教師の生活を送っている人達は、一体どういったことにやりがいを感じているのでしょうか・・・。
今回は、中学校教師の魅力とやりがいについて紹介していきたいと思います。
・中学校教師を辞めるかどうか悩んでいる人
・中学校教師を目指している人
・教師業に興味を持っている人
このような方々は、ぜひ参考にしてみてください!
目次
中学校教師の5つの魅力とやりがい
中学校教師をやられている方々は、毎日、何を楽しみで仕事をしているのでしょうか?
中学校教師は、肉体的に辛いことはもちろん、うつ病などの精神的な病気にかかりやすい職業とも言われております。
そういった中で大切になってくることは、中学校教師という仕事に対して、どれだけやりがい、喜び・楽しさを感じられるかということです。
やりがいや魅力の感じ方・捉え方はというのは、人によってそれぞれではありますが、今回は、中学校教師の一部のやりがいと魅力について紹介していきます。
生徒の成長を身近で感じられること
中学校教師は、部活・授業などを通じて、生徒の成長を身近で感じることができます。
中学校では部活や授業にひたむきに努力している生徒も多くおり、昨日できなかったことが今日にはできるようになっているといったような生徒の成長を実感して嬉しくなる場面も多々あります。
また、以前は積極性に欠けていた子供が、クラス内で周囲へ働きかけるような行動を取れるようになった時など、生徒の内面の成長を感じることができた時は先生の喜びへとつながります。
そして、3年間も生徒が成長し続けるのを身近で感じられることは、中学校教師の魅力の1つです。
多感な時期の生徒をサポートできること
多感な時期の中学生生徒を相手にすることは、色々と苦労や大変さがあります。
しかし、思春期の多感な時期の生徒は、先生のサポート次第で大きく成長の仕方が変わってくるため、先生の腕の見せ所でもあります。
例えば、問題行動ばかり起こしていた生徒が、自分の働きかけによって、行動が変化していき、卒業する頃には立派な生徒に成長している姿を見られた時は達成感と喜びで一杯になります。
思春期の生徒は接し方に苦労したりや大変なことも多い一方で、そういった生徒達をサポートできるやりがいも感じることができます。
仕事を通じて自身が成長できること
中学校で成長するのは、生徒だけでなく先生も同じです。
生徒達は、先生が思っているほど子供ではなく、むしろ、大人には気づけないことを気づかせてくれたり、大人になって忘れかけていたことを思い出させてくれたりと、先生は生徒から様々な気づきや学びを得ることができます。
先生は生徒に教えるだけでなく、教えられる存在でもあり、中学校教師は仕事を通じて自己成長をし続けることができる職業であるといえます。
生徒と感動を共有できること
体育祭、文化祭などのイベント事では、クラスまたは、学校全体が一丸となって行事に取り組むため、行事が成功した時には、生徒と感動を分かち合うことができます。
また、生徒が部活動や受験勉強で目標に向かって努力した結果、目標を達成した時は、生徒だけでなく先生自身も心から嬉しくなります。
このように、生徒と「達成感」「満足感」を共有して喜びや感動を得られるのは、中学校教師の魅力といえるでしょう。
生徒の心の中に残り続け、感謝されること
先生の存在というのは、生徒の心の中に残り続けます。
中学校の時に問題ばかり起こしていた生徒が、大人になってから先生に感謝の気持ちを伝えるべく、母校を訪れた時は心から喜びを感じます。
また、「先生の授業が面白かった」「先生が素敵だった」などの理由から、生徒自身も教師を目指すようになることもあり、先生にとってはこれほど嬉しいことはありません。
中学校教師は、生徒の心の中に残り続け、子供に大きな影響を与える仕事であり、それは先生にとって、大きなモチベーションになるでしょう。
まとめ
今回、中学校教師のやりがいと魅力について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
中学校教師は、苦労することや大変なことが多い分だけ、仕事のやりがいや魅力もあります。仕事で挫けそうになる場面も多々あるとは思いますが、無我夢中で生徒と向き合うことで、そこから喜びや楽しさも生まれてきます。
そして、中学校教師は、生徒の健やかな成長には欠かせない存在であり、生徒の心の中に残り続ける存在でもあります
これからも皆様が中学校教師として活躍できることを祈って◎
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コメント
まさにそのとおりですね。
「卒業する頃には立派な生徒に成長している姿を見れた時は」の「見れた」は,「見られた」ですね。
丹さん
コメントありがとうございます。
確かに、「見れた」ではなく「見られた」ですね。
ご指摘ありがとうございます。
直ちに、修正させていただきました。